ピンナワラ

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動物園とは異なる
象の孤児院で感じたこと

ピンナワラ(スリランカ)

 片側1車線の信号がない交差点では、婦人警官らしき人が交通整理をしている。交通量はさほど多くはないが、世界中から来る観光客の動きが忙しない。土産物屋のオババは笑顔を振りまき、ココナッツジュース売りは華麗なナイフさばきを見せる。そして、ほとんどの人が小さな路地へと進んでいく。目指すは水浴びタイムだ。

 路地の道幅は5〜6メートル。歩行者専用らしく、車はいない。交差点からマハオヤ川までは150メートルほどで、通りには土産物屋やゲストハウスが軒を連ねる。パッと見た限り、よくある一般的な、冴えない観光地の路地である。道の真ん中にいくつも置き去りにされた「こんもりとした落とし物」を除けば…。

 スリランカ中部の世界遺産都市キャンディから車で約1時間。ピンナワラにある象の孤児院には、密猟の被害で親とはぐれてしまったり、ケガや病気のせいで野生で暮らせなくなったものなど、約80頭の象が保護されている。運営はスリランカ政府野生生物保護局。心のこもったケアがなされていて、象たちは幸せを取り戻したように見える。しかし、ここで暮らした象は野生に戻されることはなく、寺院や民間施設に行くというから、少し心苦しい。私たち人間の愚行が、当たり前の象の一生を奪ってしまった。スリランカ政府の決意と愛情に敬意を払いたい。

ピンナワラ(象の孤児院)

 マハオヤ川が現れた。水の流れは穏やかで、対岸にはジャングルが広がっている。象たちは水浴びタイムの真っ最中。数日前の雨の影響か、水は少々濁り気味だが、とても気持ち良さそうだ。緑色のポロシャツを着た5〜6人の引率者が、約束されたフォーメーションを組んで象たちの行く手をコントロールしているが、いずれも和やかで自由な雰囲気に満ち溢れている。岸では、その愛らしい姿を心に焼き付けようと、多くの人が見守っている。人と象の間には仕切りのようなものはなく、近寄ることも可能だ。ここは、人間と象の心の交流が成功している世界でも稀有な場所である。

 対岸まで遠征した4頭は、剥き出しの泥を足で掻き出し鼻で背中にかけている。いちばん体の小さな象はそれを4度繰り返すと、5度目はとなりの象に。となりの象はそれが気持ち良かったのか、首を大きく振ってみせた。黄色いポロシャツの引率者が、消防訓練よろしく勢いよく放水を始めると、泥のかけ合いをあっさりやめて、放水の方に寄ってくる。そして、きれいな虹がひとつ架かった。

 こちらではやんちゃな子象2頭が、鼻先だけをシュノーケルのようにもたげて、水の中に横たわっている。どうやら、大きな象のまねをしているようで、たまに覗いて確認してはザブーン。また確認してはザブーン、を繰り返す。泥をかけるシーンといい、ここは学びの場なのだと実感する。
 ひと通り水遊びに興じた中くらいのサイズの象は、岸まで引き上げてきて、最前列にいたバックパッカーらしき青年を見つけると、首を縦に小さく振って鼻を突き出した。それはまるで挨拶のようで、話しかけているようにも見える。青年はそれに答えるように、鼻先を軽く撫でる。友人同士が久しぶりに再開したシーンのようで、周囲にいる人のほとんどが大慌てで写真を撮り始めた。

ピンナワラ(象の孤児院)

 引率者が合図を出した。象は慣れたように次々と集まってくる。岸へ上がった先頭の象は、道の真ん中に1本だけ立っている木のところで、後続が追いつくのを体を揺さぶりながら待っている。40頭ほどが集まったところで、引率者を先頭に、一斉に動き始めた。狭い路地を、象がまとまって進む様は迫力満点で、動物園の柵越しの見学とは訳が違う。観光客らしき小さな男の子が、一緒に来ていた母親の後ろに隠れてしまったほどだ。少しだけ間隔があいて第二陣がやってきた。川には、まだ遊び足りない象を引率者がたしなめるという可愛らしいシーンがあったが、この第二陣のあとを追うことにする。

 第二陣は7頭構成で、うち2頭は子象だ。子象は姉らしき巨体に挟まれて、チョコチョコと小鼻を揺らしている。そのすぐ後ろを歩いてみた。象の動き自体はゆったりとしているが、進む速度は想像していた以上に早い。子象は小走りに近いステップで、遅れをとらないように必死だ。それにしても、「こんもりとした落とし物」は、相変わらず道のあちこちに落ちている。しかも、そのほとんどは踏まれた形跡がない。密集して行進しているにもかかわらず、子象ですら巧みに避けながら歩いているのがなんとも微笑ましい。

 先ほどの交差点に差し掛かると、婦人警官が車を止めたままの状態で待っている。象たちは軽く鼻を突き上げ、さっそうと園内に戻っていった。ピンナワラではこれが日常なので、これら一連の流れに不自然さは微塵も感じられない。少々雨が降ろうが、観光客がいようがいまいが、ここでは当たり前の風景なのだろう。しかし、心臓がドキドキしている。怖くはなかったが、この距離感でのできごと。あっさりと興奮状態に陥ってしまったようだ。象たちは威風堂々としていて、私たち人間にやさしく、風景の一部にもなっている。しかし、彼らの仲間たちが、今も野生の暮らしを謳歌していることを思うと、複雑な気持ちになる。決して不幸せには見えないが、幸せだと言い張るのは少し気が引ける。人間本位なら迫力満点の感動体験だが、象本位なら…。この貴重なひとときからは多くのものを持って帰れそうだ。

 突然、婦人警官が笛を吹いて車を止めた。水浴びタイムをやめずに駄々をこねていた子象たちが、引率者とともにやっと戻ってきた。おやおや、今日もキミたちが最後ですって!

ピンナワラ(象の孤児院)

参考までに…
「こんもりとした落とし物」(言うまでもないが象の糞のこと)は、見事にリサイクルされて再生紙として販売されている。ザラッとした和紙のような風合いが特徴で、メモ帳やノートなど、素朴なデザインで人気が高い。少々値は張るが、売上の一部は象の孤児院に寄付されるので、私たちが象にしてあげられることと考えれば安いもの。この素敵なおみやげは、何が原材料であるかを言い添えて渡せば、盛り上がること間違いなし!

文:

街角10minとは… 目の前で起こる偶然は、私だけのストーリー。旅先では、ひょんな出会いが、一生の思い出に…。ふと感じる、街角の数分間。 そんな、夢にも似た物語をお送りします。旅は、いいものですね。

ピンナワラ(象の孤児院)
マハオヤ川沿いの小さな町。1975年、スリランカ政府が設立した象の孤児院によって、世界にその名が知られるようになりました。1日2回のマハオヤ川での水浴びタイムと、1日3回の赤ちゃんゾウへの授乳タイムは観光客に大人気です。
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アヌラーダプラ
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紀元前500年頃に歴史が始まるシンハラ王朝最初の都であり、スリランカの仏教発祥の地。広い範囲に遺跡が点在し、世界遺産指定されています。樹齢2000年を超えるスリー・マハー菩提樹には現在でも巡礼者が集まります。
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シギリヤ
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スリランカ最大の都市。植民地時代の雰囲気が香るコロニアル建築と、さまざまな宗教の寺院が混在するエネルギッシュな街。アジア有数の良港を有し、特産の紅茶(セイロンティー)の貿易などで知られています。
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