ヴァレッタ

012

フォトジェニックな
路地と猫とオジサマと

ヴァレッタ(マルタ)

 「グッ・デイ!」
 細い路地に入って建物の写真を撮っていたら、通りすがりのオジサマから声をかけられた。茶色い紙の買い物袋をふたつ持ちながら、ゆったりとした口調で。こちらも軽く手を振りながら「You too」と返す。さらにオジサマは、後ろにいた別の観光客らしき人にも同じように声をかける。その観光客は英語圏の人のようで、ひとことふたこと何かを言って笑って通り過ぎていった。いずれもたった数往復の簡単な挨拶だが、ここでは、知り合いであるはずがない私のような観光客が相手でも、それが当たり前のように行われていて、とても居心地がいい。オジサマが持った袋からはお決まりのセロリの葉が出ていて、どこかの映画のワンシーンのようだったし、街並みは中世のようだし、噴水横の植え込みからは可愛らしい猫がひょっこりと出てくるし…。そこに私がいて、しかも地元の人と挨拶まで交わしている。この一部始終を、誰かが撮っていてくれないかと思わずにはいられない。

 シチリア島の南、地中海に浮かぶ島マルタ。1964年にイギリスから独立した地中海唯一の英語圏の国だ。つたない予備知識で、ここは英語が公用語であることは事前に理解していたつもりだったが、到着した当初はどうもしっくりこなかった。遺跡のような街並みと強い日差し、乾燥した風、トマトソースのパスタがあまりにも美味しく、しかもシエスタまであるのだから、イタリア語のほうが似合う、との第一印象だったからだ。しかしどうだろう。半日も経てば英語圏であることの違和感は徐々に薄れてきて、あからさまな陽気さのイタリアとは少し違う雰囲気を感じるようになる。しかも、なぜかここの英語は聞き取りやすい。

 すれ違った女性二人が食べていたアイスクリームが気になって、辺りをキョロキョロとしていたところ、それらしきジェラート屋を発見した。人気店らしく、10人ほどの行列ができている。ここは、数種類のアイスをバラの花のように盛り付けるのが特徴で、華やかでとても可愛らしい。そしてほとんどの人が3〜4種類をチョイスしていて、中にはマカロンのトッピングまでするツワモノまでいた。私の番がきた。迷わずラージコーンをセレクト。赤がきれいなラズベリーをベースに、マンゴーとレモンとピスタチオの計4種類をオーダー。少し欲張った感はあったが、難なく、思い通りの花が咲いたジェラートを手に入れることができた。しかし、私は英語が堪能なわけじゃない。英語を発したのは「ラズベリー」だけ。あとは指差しと、20代半ばとおぼしき男性店員の見事なエスコートで完了したのだ。店内で交わされたゆったりとしたコミュニケーションは、初心者向けの英会話教室のようで、とてもわかり易く親切。オーダーがトントンと進んでいく様は、我ながらスムースすぎると感じたほどだ。そう、ここは何もかもがやさしい。

マルタ ヴァレッタ 

 マルタストーン。この地域で産出される良質な石灰岩はそう呼ばれる。遺跡や城壁、住宅に至る建物の多くにこのマルタストーンは使われていて、城塞都市マルタはやさしい蜂蜜色で統一されている。一見、地味な雰囲気に見えるが、そこは地中海の島国。扉や窓枠、橋など、塗料が使えるところは鮮やかに彩られていてとても楽しい。まるで、コーンに盛られたジェラートの花のように。

 セロリの葉が出た紙袋を持ったオジサマが向かった先に、窓枠が緑色で揃えられた建物を見つけた。そのひとつには脚立が掛けてあり、そばにはペンキが入ったバケツが置かれている。傍らには中年の職人が二人いて、休憩中なのか打ち合わせの最中なのか、とても仕事中とは思えない賑やかな話っぷりで盛り上がっていた。近づいてみると、マスキングテープをふたつ手に持って何やら話している。ひとつを鼻に、もうひとつを口に当てては大笑い。もう一人の職人がそのマスキングテープを取り上げ、ふたつを鼻の穴に見立ててはまた大笑い。何のことかは理解できなかったが、「cat」という単語が頻繁に聞こえたので、猫のことなのではと推察してみる。いずれにしても、あまりにも子供っぽかったので、こちらもつられてつい笑ってしまった。

 蜂蜜色の建物に、塗りたての緑の窓枠はとても鮮やかだ。なぜか、ひとつだけ窓枠が白かったが、道の手摺りや橋まで同じ緑色にしている。しかも、近くにある英国の名残そのままの電話ボックスの色はおなじみの真っ赤。これも何度も塗り直しているような感じで、懐かしさはあるものの、古びた感じはない。風景全体からすればそれぞれの色の面積は小さいが、やさしい蜂蜜色に鮮やかな原色が映えてことほかおしゃれだ。

 職人たちは、私がシャッターを切った瞬間から大笑いをやめ、のんびりと脚立やバケツを片付け始めた。私がさらに近づくと、当たり前のように基本的な挨拶が交わされる。そして聞き取りやすいゆっくりとした英語でこう続けた。
 「こことそこの窓枠は、2時間前まで赤だったんだよ」

マルタ ヴァレッタ 猫

 テラスに出しっぱなしのテーブルを日除けにして、夕暮れのひとときを過ごしているのは、マルタの影の主役、猫だ。街中で頻繁に出会えるわけではないが、夕方は、さまざまな地域ごとに愛好家やNPOの方々が餌やりをしているため、物陰から現れてはスタンバイしているケースが多い。人懐っこく愛想のいいものから、仏頂面のコロコロとしたやや太り気味のものまで、よりどりみどりのラインナップである。しかし共通しているのは、どれも人に慣れているということ。そして、人に対して自分が優位に立つすべを知っているということだ。

 写真を撮ろうと準備した途端、とりあえず目線はこちらに向ける。しかし、リラックスタイムを邪魔されたからなのか、どの猫も一様に不機嫌そうな顔をする。食べ物を持っていない人に対しては大抵こんな態度だ。ターゲットを絞って一匹の猫に近寄ってみる。予想通り、つれない態度。そこで、バックパックから何かを取り出す仕草をしてみた。反応がある。食べ物が出てくると期待しているようだ。ファスナーを開けゴソゴソとしてみる。すると怠惰な態度を一変、途端におすわりのポーズをしてみせた。そんな態度に反応して、周囲の猫もダラダラと近寄ってくる。すかさず、そこでシャッターを切る。食べ物は持っていないので、仕方なくバックパックからポケットティッシュを取り出した。それに興味を示した姿をパシャリ。さらに、それが食べ物ではないことを確認して脱力した姿を…。

 マルタは要塞都市だ。勇猛な騎士団の歴史に彩られ、首都ヴァレッタの観光ポイントは大砲や鎧、衛兵の姿など、争いの勇ましさが強調されたアイテムが多い。しかし、のんびりとした今のマルタを象徴しているのは、紛れもなく彼らとそれを取り巻くやさしい環境だと感じた。この国で暮らしている人が羨ましい。

参考までに…
アモリーノ Amorino
ヴァレッタの目抜き通りであるリパブリック通りにあるジェラートなどを扱うテイクアウト専門の店。シティゲートから徒歩約3分の考古学博物館の向かいにある。美しいジェラートローズはコーンのみ(カップは普通の盛り)。サイズを選んだあと、ジェラートをチョイスしていく。基本的には何種類選んでも可能。ほとんどの人が3〜5種類程度を選ぶことが多いようだ。形が形だけに、溶けやすいのが玉に瑕。お早めに平らげて!

ラージコーン:5.70ユーロ、レギュラーコーン:4.70ユーロ、スモールコーン:3.60ユーロ、マカロンのトッピングは1.80ユーロ、その他、ワッフルやクレープ、フラッペやエスプレッソなどがある。(2018年6月現在)

文:

街角10minとは… 目の前で起こる偶然は、私だけのストーリー。旅先では、ひょんな出会いが、一生の思い出に…。ふと感じる、街角の数分間。 そんな、夢にも似た物語をお送りします。旅は、いいものですね。

ヴァレッタ
1565年5月18日に始まったマルタ史上最大の危機「グレート・シーズ(大包囲戦)」では、攻め寄せるオスマントルコ軍約4万人に対し、わずか700人のマルタ騎士団と9000人の島民が4カ月間も頑強に抗戦し、ついにトルコ軍を退けました。この戦いの教訓により強固な要塞都市が築かれ、現在のヴァレッタとなりました。
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マルタ ヴァレッタ クルーズ
クルーズでマルタ
イタリア南部の街とマルタを周遊する飛行機の旅もいいですが、地中海の島々を巡るクルーズもおすすめです。難攻不落の城塞都市に海からアプローチする醍醐味はクルーズならでは。マルタを組み入れたクルーズの旅、ぜひ!
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